前の日記と順序が逆になりましたが、
釣り雑誌!
釣りPOWERで、記載した
長長長文ですので、よろしくおねがいします
釣りには狙う魚・釣り方と幅広くありますが、その中でも僕が一番に魅了されているエギング。なぜイカ釣りの「エギング」に魅了され、更には雨風の中、熱がでてもロッドをシャクリ続ける事ができるのか、趣味の範囲を超えてしまう、その「パワーの源」を皆さんに教えます。
いきなりなのですが、僕のオヤジはヤンバルの出身で大の釣り好きです(笑。
そのため、オヤジに付き合ってというか、連れて行かされて?ドライブしながら北部まで魚釣りに良く行きました。
小学校の夏休みには必ず、「おばぁー」が住んでいるヤンバルまで行き、魚、ウニ、シャコガイ、サザエを採っては家族で囲って食べた記憶もあります。
たくさん獲っては、オヤジと一緒に親戚に配ったのも、今ではとても懐かしい思い出です(笑。
ナゼ、「懐かしい思い出」になっているかって?
それは後程お話しますね~。
実は僕、小学校時代に周りの友達が「夏休み」と言うだけで楽しそうに騒いでいる姿をみて一緒に喜べなかった訳があるのです・・・
それは何故かと言うと、毎年恒例となっている「おばぁ~」の家に預けられ、ウニやシャコガイ等を獲らないといけないからです。
「なんで僕だけおばぁーの家に預けられないといけないの?」
「友達なんて、みんなでゲームとかしていたり、もっと面白い事しているのに・・・」
そんな子供ながらも、心ではそう感じながらおばぁーの家でオヤジが迎えに来るのを待ち遠しく待っていた記憶があります。
そんなある日、いつも通り迎えに来てくれたオヤジが僕を拾って家に帰る途中、急に車のブレーキをかけたのです!!!
「なんなんだ??」
子供ながらに「チムドンドン」しながら見ると、オヤジの顔が今までに見たこと無いくらいの真剣な顔・・・
その視線の先には獲物として「ロックオン」されているのはなんと
「イノシシ」!!!!
うりひゃー!!親父がなにかやらかしそうな予感!!
僕は、車の窓から身を乗り出しそうになりながら、イノシシを見ていた。
車を颯爽と降りると、オヤジはいきなり両手を大きく広げイノシシに向かって、走り出した!!それを見たデカイノシシ、親父めがけて猛突進してきたではないかぁ!!!
「親父!!そんな威嚇したら突進するだろ!!」
と突っ込みを入れたかったが、そんな余裕すら無くただ見てるがまま!
「うわぁー!!突き飛ばされる!!」と思った瞬間、親父は今までに見たことも無いくらいの軽快なステップで、デカイノシシを交し、後ろに居たウリ坊を素手で抱きかかえ!!
更には僕めがけて凄い形相でウリ坊を片手に抱いて走ってくるではないかぁ!!!
車に飛び乗り、「逃げないように、捕まえとけよ!」
と言い終わる間も無く、その場逃げさるかのように車を出したオヤジ。
実はその「ウリ坊」、家族の一員となり庭で飼育する事になったのです。
犬や猫ならまだしも、いや、100歩譲って、ニワトリやヤギならわかるが、ナゼに「イノシシ」?
しかも「野生」の臭いイノシシ・・・
親父手作りの立派なイノシシ小屋も出来上がり、近所の友達もビックリ!!!
(そんな、那覇のど真ん中でイノシシを飼育している家庭があるのか・・・)
しかし皆さん、やっぱりイノシシも犬と一緒でストレスがたまるらしく、首輪をつけ散歩させないといけないのです。
「野生イノシシ」の散歩です・・・(笑。
そんなこんなで生活してきた僕は根っからの山や海が好きな人に自然と成長して行きました。
実は元々オヤジは釣り好きで、暇さえあると手漕ぎボートに乗りながら、昔風の漁で「手グス」を使用しタマンを狙ったり、平日でも仕事が終わると那覇からヤンバルまで釣行する程の「釣り馬鹿」でした。
そのため、家の食事メニューの毎日が、「さかな♪さかな♪さかなぁ~♪」でした(笑。
案の定、いくらオヤジがアレコレ変えて出した魚料理でも、僕はだんだん飽きてしまい、魚が嫌いになってきました。
そこで、こっそりと母に頼み僕だけ別メニューにしてもらった事もしばしば・・・。
実は、この後誰もが予想していない一大事件が勃発したのです!!!
いつものように、オヤジがたくさん魚を獲ってきたので、夕食として食べました。
もちろん僕だけ特別メニューで魚は抜き♪
翌朝、目覚めると家族の様子が変・・・
飼っている猫の足が、まるでモップのように広がっている・・・
「なんじゃ?どうした??」
家族は、というと・・・手足や口が痺れると言う・・・
直ぐに病院に行くと、診断は「シガテラ中毒」
実は、オヤジが釣って料理したのは、バラフエダイと言われる「アカナー」と言う魚で、シガテラ毒を持っている場合が多い魚です。
さてさて、「シガテラ中毒」と初めて聞く方にチョコッと簡単に説明します。
シガテラ中毒になると、腹痛、下痢が続き、手足唇がしびれ、脈拍が少なくなり、血圧が降下、時としてはまれに死亡する事もあります。
アカナー自体は毒無く、アカナーがエサとしているカニや小魚等にシガテラ毒が含まれるのを捕食している事が多い為、アカナー自身にも「毒」が溜まってしまうのだといいます・・・
この「アカナー事件」以来、僕の魚嫌いは、一気に急加速!!
一番たくさん食べたオヤジは、化学調味料などが入った物を食べると、血圧が上がり、ジンマシンが出るという特異な体質に変わり、二度と外食ができない体質になってしまいました・・・。
そんな経緯があるなか、時は過ぎ、僕は中学に入学。
僕は、少々「わんぱく」で、学校で事を起こす度に、オヤジと一緒に釣りに連れて行かされました。
怒る訳でもなく、ただボートの上で二人静寂な波音を聴きながら釣りをする・・・
僕は、いつ怒られるのかずっと不安で、まるで沈黙が「拷問」のように感じた事もありました。
いっその事、思いっきり殴られて怒られた方が僕としてはすっきりとしただろうに・・・
オヤジとの気まずい釣りは、僕が学校で「事」を起こす度に何回も続きました。
しかし毎度の事、沈黙の釣りが始まる・・・
その事が原因で、僕はいつしか「釣り嫌い」になっていったのです。
それから成人して社会人になり、良い女性とめぐり合えて幸せな結婚。
その中でも仕事で悩んでいると、オヤジは、こう僕に言いました。
「海に行って、釣りして来い!!」
僕は、本当に、馬鹿か?と思いました・・・
「海行ったら全部忘れて、気持ちよくなる!!」
僕は無視し続けました・・・。それはオヤジの事だろって・・・。
「釣り馬鹿」のオヤジに相談した僕が悪かったのかもしれない・・・。
その時なんて、どういう気持ちで親父が僕に「海に行け!!」と言ったのか全然わからず反抗心の気持ちのみ。
実は今からちょうど2年前、親父がヤンバルで仕事有るから手伝えと言うので、友人と一緒にオバァの家に泊り込み2ヶ月間仕事をした時の事。
テレビも無く、暇で暇でしょうも無かったのを覚えています。
友人が暇だから、釣りしてくるか?と言うので、二十年ぶりに釣りをしに行きました。
実はそれが「烏賊釣り」で、面白いように釣れました!!
そう!これこそが「エギング」との最初の出会いでした!
この日を境に幼少時代、オヤジと一緒に楽しく釣りをしていた時の心が懐かしく蘇り、2ヶ月間毎日、海だけでは止まらず、山に行き「クワガタ」や「ハブ」を獲りに行きました。
この時、僕は既に30歳。
しかも三児の父親です。
ストレスや仕事の人間関係でもみくちゃにされている時、「ヤンバルの大自然」が僕を昔の少年に戻してくれたのでした。
後で聞いた話、オヤジは「たしろーを釣りに誘ってアリガトウ、やっと自然の良さがわかったみたいだよ」と、友人に言ってたそうです。
オヤジのビックリする行動はまだまだ続きます!
オヤジがカレンダーをみるなり明日は仕事空けて、皆で海行こう!!と言いました。
突拍子も無い言葉。
理由を尋ねると
「大潮のマイナス干潮だから、潮干狩り行くからさぁー。仕事はいつでもある、潮は、これ逃がすと無いからさぁー」
相変わらず大胆なオヤジ!!
僕と友人は、潜りでシャコやホラ貝など獲り、オヤジ達は、ボートでミーバイなどを狙っていました。
2ヶ月間の仕事が終わり、那覇に戻っても僕の烏賊釣りへの情熱は引かず、毎晩釣行ましたが、ヤンバルでの釣果がウソのように釣れない・・・。
投げまくる事一ヶ月間、ずっと坊主。
もう投げやりになって、イカ釣りを辞めてしばらくしたらオヤジから一本の電話がかかって来た。
いきなり「釣りしているか?」の言葉!!!
普通は「元気か?」とか、「おー、今なにやってんだ?」とかじゃないのか?(笑。
僕は「行くけど、釣れんから辞めたよ・・・」と言うとオヤジは、声を荒上げ
「家にいて釣れるか!釣れるまで行けばいいだろ!」の一言!!
僕もオヤジと同じくすぐに意地になる癖があるので、「イカなんてすぐ釣るよっ!!」と言い返しました。
それから、オヤジの「釣れたか?」「今日はデカイの釣ったぞ!」と自分の釣果自慢の電話が毎日と言っても良いほど僕にかかってきたのは言うまでもありません。
そんなある日の事、オヤジが「デカイの獲ったから見に来い」と言うので、早速実家まで行くと、今までに見たこと無い「大ウナギ」でした!
しかも計量すると1m30㎝の超特大!!
それを料理して、オヤジが食べれと言うけど、僕は、遠慮しました・・・。
なぜなら以前の「シガテラ事件」があるので、家族皆食べなかったのです。
それがオヤジに火を付けたのか、むきになって、一人でまるまる一匹全てを食べつくしたのです!
しかしその3日後、オヤジは脳梗塞で倒れたのでした。
幸い命に別状は無かったが、右半身マヒに。
70歳になってもヤンバルまで釣行してたあの元気なオヤジがです・・・
本当にビックリしました。
その後と言えば、ずっと病院生活で見るからに元気も無く、後遺症で失語症となり会話も出来ない状態。なんとかオヤジの元気な姿を見たいがために、考えたのが僕の釣ったイカを見せる事だと思い、一生懸命にイカを釣り、携帯の写真にとって病院に行きました。
その写真を見せると、何を言っているのか分からないけど、確かにオヤジは笑っている!喜んでいるみたい!!
言葉なんて何を言っているのかわからないけど、なぜか嬉しくなってきました。
さらには烏賊を釣り、親戚などに配るとおばさんが、「かえるの子は、かえるだね、アリガトウね」と言った言葉。
なんだか、恥ずかしさ反面嬉しかったです。
僕は、毎回オヤジの病院行へ行くと、今では仲間と一緒に釣り上げた烏賊を携帯で写して見せている(笑。
オヤジは、いつも驚いた表情で喜んでくれている。
それが、僕とオヤジの大事な「会話の無いコミュニケーション」になっている事は間違いない。
実は前号の「釣りPOWER」の雑誌でレポートをさせて頂いた際、僕の写真が大きく載っているのをオヤジに見せると、今まで見せた事の無いような表情で、一生懸命に何度も左手だけで持って食い入るように読み返していた。
次の日病院に行った時にも、必死に左手だけで、何度も見ていた様子で雑誌はしわくちゃだらけ。
その姿を見ていると、恥ずかしながらも自然と涙が止まらなかった・・・。
僕は、釣りをしている最中に、必ずまぶたを数分閉じる。
オヤジが言いたかった事、伝えたかった事、今は、オヤジから直接言葉が聞けないので、海に行き、自然から学び、海にリラックスさせられ、パワーを与えられている気がする。
なんとなくだが、オヤジが言いたかった事・伝えたかった事が少しずつ、そして今やっと、理解できるような気がしてきた・・・
僕にとって「釣り」とは僕自身の本来あるべき姿で、世界にたった一人の父に対しての今できる精一杯の「親孝行」の一つでもあると思っている。